火曜日, 12月 4th, 2018

東北地方の山形県出身で、東日本大震災にて被災しました。当時私は小学6年生で、帰りの会をやっている最中に地震がきました。おそらく午後3時から4時くらいの間だったかと思います。場所は、当時通っていた小学校の自分のクラスです。最初は余震で避難しなくても大丈夫だ、ということだったのですが、だんだん揺れが大きくなって体育館に移動しました。避難訓練は学期ごとに行っていたのでスムーズに移動できましたが、先生や生徒も含めて、皆表情は真剣そのものでした。体育館に移動してからも何度か大きな揺れを感じました。

災害に遭った時は、ちょうど私たち小学生が下校をする時間だったのですが、地震がきたことによって下校時間が1?2時間ほど遅くなりました。私たちの学校では、学校が家から遠い子が多かったので、迎えにくる保護者たちに車で家まで送ってもらっていた子が多くいました。しかし、停電や山の方では土砂崩れが起きていて、なかなか迎えにきてもらえない子たちも多くいたそうです。うちはそれほど遠くなかったのですが、母がエプロンをつけたまま走って迎えに来てくれて、弟と一緒に手をつないで帰ったのをよく覚えています。同じ小学校に兄弟がいて、それだけでも安心できました。

家に帰ってからも、停電をしており寒い時期でしたので寒さがとても辛かったです。山形県など東北は3月でも凍えるような寒さなので、余計に辛かったです。停電をしていたので、懐中電灯で最初は灯りを灯していたのですが、あいにく手回し充電式ではなく電池式のものだったので、いつ復旧するかもわからない電気に懐中電灯を使うのは勿体無いということで、途中からはろうそくで灯りを灯していました。食べ物もカップ麺など電気がなくて食べられなかったので、お菓子など温めなくてもいいものをしばらくは食べてお腹を膨らませていました。

災害時に役に立ったものとしては、お菓子と懐中電灯です。私の地域はあまりこのような大きな地震などの災害がなかったので、災害時に備えて食材や防災グッズなどを全く備えていませんでした。そのため、停電をしてしまうと普段食べているご飯やおかずのような普通の食事は温めないと食べられないことに気がつかず、苦労しました。温めなくても食べられて、なお長持ちするものとしてやはり大袋のお菓子はとても役に立ちました。他にはおやつとして買ってあった菓子パンなどもいつもより美味しく感じられました。

また、懐中電灯はたまたま買ってあったのでよかったのですが、停電してしまうと灯りがないととても大変です。しかし、手回し充電式の懐中電灯を備えていなかったことが悔やまれました。停電をしてしまうと、いつ電気が復旧するかが全くわからないので、通常の懐中電灯ではなくて手回し充電式やあるいはソーラー充電など電気の力に頼らない懐中電灯を用意しておくのが一番だと痛感しました。
 
被災するまで家族内でのきまりは一切なかったのですが、東日本大震災で被災をしてからは家族との連絡手段と集合場所を決めました。まず、学校や仕事場で家にいないときに被災をした場合は、家に戻ってこずに町の体育館に集合するということです。ニュースで家に家族を助けに行った方が津波に飲み込まれ亡くなってしまった、というニュースを家族で視聴した際に決めた決まり事です。連絡手段については、被災をしてから弟にキッズ用のケータイを持たせることにしました。それによって家族全員がスマホで連絡を取れるようになったため、少しは安心です。しかし、被災した際は停電などでスマホなど充電ができなくなり、連絡を取れない可能性も十分にあるので、モバイルバッテリーの持ち運びをする、とも決めました。