火曜日, 11月 20th, 2018

被災した場所は福島県会津若松市です。仕事をしていて終わる1分前にただならぬ揺れを感じました。ドンと下から突き上げてから激しい横揺れになりました。周りには泣いている女子社員もたくさんいたほどでした。それくらい今まで感じたことのあるレベルではない揺れを感じました。そしてすぐに会社の外に集められて、しばらく待機しました。30分くらいして中に戻って、状況を把握しようとみんなでテレビを見て大地震があったことを知りました。私の住んでいる地方は震度5弱でした。それでもすごい揺れで机の下に隠れながら、本当に死ぬかもしれないと思いました。

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社内の落ちたファイルなどを片付けていると、皆自宅に帰宅するように社長から指示がありました。家に帰るとまずテレビが床に落ちてしまっていて画面にひびが入ってしまいました。もう一瞬にして壊れているのがわかるくらいの状態でした。購入して半年くらいしかたっていませんでしたが、買い替えを余儀無くされました。そして電子レンジも落ちていて床に傷がついていました。幸いにも電子レンジ自体は使用できました。しかし床の傷が結構深く入りました。あとは家の外壁にヒビが数カ所入っていました。築年数も40年を超えているので、元々ヒビはありましたが、大きな亀裂が数カ所入りました。ヒビについてはどうしようもないので、上からペンキを塗って対応しました。
 
そしてそれよりも一番困ったことはガソリンです。ガソリンの給油制限がすぐに設けられ、一回あたり10Lしか入れられなくなりました。車での移動が当たり前の生活ですが、なるべく車を使わないで歩いて移動することにしました。コンビニやスーパーが徒歩圏にないので、数キロの距離を自転車を利用して買い物に行かなければなりませんでした。

災害時に役に立ったのは、薪ストーブでした。その年の冬にたまたま購入して自分たちでつけたものでしたが、これが本当に重宝しました。東日本大震災の時は3月で、まだまだ寒い時期でしたので、暖を取ることができました。石油も不足していて制限がかかっていて、なかなか入れられない状態でしたので、ほとんど薪ストーブで生活しました。鍋も置いておけるので、料理の煮込みなどにも活躍しました。薪ストーブの燃料は木々なので、石油の心配をしなくていいというのがとても有難く、精神的にも楽でした。懐中電灯やラジオなどは定番ですが、あると本当に安心できました。食事面では缶詰類で数日間は過ごしました。缶詰類は保存もききますし、そのまま食べられるのでガスを使わなくてもいいという点で非常に助かりました。たまたま鯖缶やツナ缶など多めにストックしてあり、甘いものが欲しい時にはみかんやパイン缶を食べました。

東日本大震災が起こるまでは何も家族で決めてない状態でした。幸いにも携帯電話が数時間後にはつながったので、両親や兄弟とも連絡を取ることができました。しかし東日本大震災を経験してから、家族で集合場所の確認をするようになりました。もしまた大きな地震などが起こった時には近くに中学校があるのでそこに集合しよう、という話をしています。学校だと人がたくさんいて大変かなという案もありました。しかしやはり人が多いほうが安心だし、本当にしばらく避難しなければならない状態になった時には隣県に住む親戚の家に行こうという話し合いもしています。

近くに実家もあるので、実家の両親にもそういう話をしています。実家の親は集合する時にわかりやすいように着用するものの色まで決めていて、見つけやすいようにしようという話もしていました。本当に今までにないくらいの大地震を経験して、備えの大切さを改めて感じました。